水道水と「碧い水の鼓動」、2つの水を使って金魚の飼育実験をしてみました。
金魚がいるのにいつまでも水が濁らない
この実験は、生き残った数が多いから「碧い水の鼓動」の水が良い、という単純な実験とその結果ではありません。
この実験で確認したかった最大のポイントは、「碧い水の鼓動」の水が、単なるお水ではなく、生物の体内の水(生体水)にいかに近づいているか、というところでした。
濁っている水と澄んだ水
「碧い水の鼓動」は、10日後も水が濁っていない。
ここに着目しましょう。
誰しも見たことがあると思いますが、ほとんどの池の水は濁っています。ある池は緑色、ある池は茶色っぽく。これは、微生物の繁殖や有機物の酸化が進行し、水の能力が劣化した結果です。(この場合の水の能力とは、濁ることなく清浄な状態を保っていることを指します。)
一方、私たち人間はもちろんのこと、動物や植物の体内の水は、酸化や腐敗で濁ることはなく、常に分解を繰り返し、清浄な状態を保ちます。
また、体内にある脂質やタンパク質も、体内にある間は、腐敗や酸化はしません。ところが、それらの物質を体外に引っ張り出した途端、酸化や腐敗といった方向に進みます。
外の世界と体内では、同じ物質が、まったく次元の異なる物質に変化しているのです。
体内では、すべての物質が生命維持のために必要な反応をする、整然とした反応系になっています。それに反して、外の世界では生命の維持とは関係のない、ある意味で乱雑な反応系になっているということです。
この違いは、水にあるのではないか。
そこで、水をもっと丁寧にみつめると、体内の水のなかに、生命情報伝達物質である微量の鉄化合物を発見しました。体内の水にはそれがあり、外の世界の水にはそれがない。そのため、反応系が異なるのです。
外の世界に体内の水を存在させる
外の世界の水には、体内の水に存在する「生命情報伝達物質」が存在していません。では、逆に、外の世界にそれを存在させてみたらどうでしょう?そう考えて開発・製造したのが「碧い水の鼓動」であり、その結果を確かめたのが金魚の実験だったのです。
うれしいことに、実験の結果は、私たちの仮説を実証するものとなりました。
「碧い水の鼓動」は、体内の水と限りなく近い性質の水です。その水を水槽に入れると、金魚たちにとっては、自分たちの体内の水と同じ、生命情報伝達物質のある整然とした反応系が外の世界にあることになります。
金魚の排泄物はどこ?
はて・・・? そこで疑問が生じました。金魚の排泄物はどうなったのでしょうか。4匹よりも10匹の方が排泄量が多く、その分だけ水は濁らなければならないのに、結果はまったく逆になっているわけです。
まだ100%の確認はできていませんが、おそらく、金魚の排泄物の一部は金魚のエサとしてリサイクルされているはずです。その残りは、目に見えないほどの小さな粒(砂)のようになり、水槽の底に沈んでいるはずです。
この部分は疑問が解消されるまで、今後も実験を重ねて行きますが、私のなかに「この水槽が、小さなひとつの地球になっているのではないか」という仮説が起こりました。
これもまだ仮説の段階ではありますが、「碧い水の鼓動」の水槽の環境では、還元の方向へと進み、排泄物は分解され、その環境に最適な物質へと変化した。その一方、水道水の水槽の環境では、酸化の方向へと進み、排泄物は、腐敗したのでは、と考えられます。
「碧い水の鼓動」の水槽と同じことが太古の地球に起こっていたのではないでしょうか。外の世界は、適切な生命環境維持空間で満ちており、それは自然現象であったはずです。一方、水道水の水槽は、いま住んでいる環境です。私たち人類は、科学万能、物質万能主義によって、生命環境維持空間をみずから破壊してしまったのではないでしょうか。
生きている水を取り戻そう
生命環境維持空間では、常に水は、還元に向かっています。それは、生きている水なのです。 ところが、私たちがふだん口にできる水は、そのままでは死んだ水です。金魚が死んでしまった水槽のなかのような、乱雑な反応系の水なのです。消毒したり、濾過したりして、見た目をごまかしていますが、生命力はありません。
そういった悲しい状況で、いのちに対して高品質な水を、と開発したのが、「碧い水の鼓動」です。
生きている水をあなたに。
あなたの愛する人に、隣人に。
そして濁った池に、野菜に、お米に、牛に、豚に、鶏に。
私たち『地球と水と命』は、いのちに対して高品質な水を広めるために誕生しました。私たちが壊してしまった環境を、子や孫のために、できるだけ早く再生し、再生だけではなく、より美しいものにしたいと思っています。
この活動や考えに多くの方のお力をくださいませんか。
ともに、生きている水をまきましょう。
地球と水と命会報誌「MIZUPOTO」より